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江戸時代…県ではなく藩(300くらいあった)
むさし(ムサシトミオ)しなの(しなのがわ)、いせ(いせえび)、さぬき(さぬきうどん)さつま(さつまいも)
など、今も名残が残っている。
藩同士の行き来は通行手形が必要で、他国のような扱いだった。
多くの藩が江戸幕府に従っていた。
⇒なんで反乱しなかったのか=参勤交代で力が衰えていた(制度が260年続いた)
1853年アメリカのペリーが来航し開国を求めた。
どうして開国を迫った?
⇒クジラ漁をするのに石炭を補給しなくてはならない。日本を補給所にしたかった。
(そもそも言葉は通じるの?⇒海で遭難した人がたまたまアメリカに流れ着いていたジョン万次郎が通訳を務めた)
多くの藩が反対するが、幕府は勝手に開国してしまった。
⇒日米和親条約、日米修好通商条約を結んだ
領事裁判権があって(説明)、関税自主権がない(説明)
(開国をして幕府を守る派⇔尊王攘夷派:幕府を倒し、外国も倒す!)
開国に対して藩が激怒。「幕府は腰抜けだ。このままでは外国に日本が乗っ取られてしまう。」という考えから、幕府を倒し、朝廷をトップにしよう案が生まれた。特に強かったのが長州、薩摩、会津
特に長州藩が強く、朝廷の指示を得た。⇒薩摩と会津が手を組んで幕府と朝廷両方で仲良くしようとした。
朝廷も寝返って、長州をぼこぼこにする。(薩摩は朝廷の屋敷を背に、挑発をする)
幕府は長州など幕府を倒そうとしている人を倒す『新選組』を会津藩を中心に結成する。
土佐藩の坂本龍馬(背中に毛が生えていた)龍馬は、幕府を倒し、開国をする新しい考えを持っていた。
龍馬は差別が許せなかった。当時は身分の違いで結婚も許されなかった。龍馬は剣道がとても強く、夜、目をつぶってでも勝ったと言われている。
幕府を倒すために軍隊を作ろうと決心。ペリーの軍艦を見てあれがほしいと思った。でも金がなかった。そこで、「幕府からもらおう」と考え、「外国が攻めてきたときに戦うから貸してほしい!」とお願いをした。
龍馬に軍艦の操縦の仕方を教えたのが勝海舟
勝海舟は幕府の役人で龍馬が幕府を倒そうとしていることを知っていた。
しかし、教えた。(「今度会うときは戦場かもしれん。そのときは互いに存分に暴れよう!」と話をしたらしい)
仲の悪い長州と薩摩が協力すれば幕府を倒せる。けんかをしているときではない!と誕生したのが薩長同盟
⇒最強の2藩が手を組んだ(100万人)しかし、それでも幕府400万人の方が圧倒的に強い。
⇒さあどうなったか…将軍慶喜は戦わないで逃げた。
⇒一生、未来まで逃げ将軍おくびょうものと言われたが…なぜ戦わなかったのか。
・200ある国の中でヨーロッパの植民地にならなかったのはタイと日本だけ
・もし慶喜が戦っていたらそれをチャンスに外国が攻めてきていたかもしれない。
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